折に触れ受け取るメッセージです。
2006年10月12日
人々よ
ぶどうのひと粒ひと粒は
収穫されて搾られて
大きな樽で大切に
熟成されるば豊潤な
ぶどうの酒となりたるが
長き年月生かされて
神の宮居を御心(みこころ)に
抱(いだ)きておりても気づかずに
己れの高めるすべもなく
盲(めしいい)のまま生くる者
いかに多きか知りたるのう?
目に見ゆる
ことがすべてと乱心の
日々を送るは切なきぞ。
己れこそ
神の発現なりしとは
信ずることはなかなかに
むつかしきとは思えども
人々よ
己れこそ輝く衣に包まれて
この世に生まれし神の子ぞ
それを忘るるな人々よ
たれもみなみな
菩薩なり
ある日、
「たれもみなみな菩薩なり」と
心に響いてきました。
どんな見た目をしていようと、
どんな暮らしをしていようと、
どんな場に居られようと、
たとえ私の意に添わない行動や言動をする人であっても
だれも皆「その現身(うつしみ)は輝ける菩薩の姿である」と言われるのです。
そして自分自身も、輝く衣に包まれて生まれてきた神の子である、とも。
「たれもみなみな菩薩なり」
この日一日、この言葉がリフレインしていました。
すると、通りを歩いていてすれ違う人の胸のあたりに、車のスバルのマークのような輝く光
が見えるのです。
みんなみんな胸のあたりに輝いているのです。
「ああ、この世に責めるべき人・批判すべき人なんていないんだ、みんな輝く光なんだ」と思い知らされ、
「ごめんなさい」
「ありがとうございます」
「愛しています」
と言わずにはいられませんでした。
(ホ・オポノポノでも言われていますが)
※しかし、すぐに忘れて文句を言い始める私がいます・・・・・・困ったもんです。